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上椎葉ダムは日本初のハイダムとしてのアーチ式コンクリートダムとして設計、施工されたダムです。
地震国日本としてはアーチダムの耐震性に疑問があり、諸外国に比べアーチダム後進国となっていました。しかし、
多種多様な実験、検証の結果建設されたこの上椎葉ダムの成功に自信をつけ、この後各地にさまざまなアーチダム が出来る先駆けとなりました。
ダムを建設するにあたって必要なコンクリート等の資材は遠く延岡市から道路と総延長58kmにも及ぶ索道を使用し
て運ばれ、建設には当時の金額としては破格の総工費149億円を投じ、延べ500万人が動員されたそうです。しかし例 年の台風に悩まされるなど工事は難航し、完成までに105人もの殉職者を出しました。ダム左岸側にある女神公園に は犠牲者105名の霊を慰めるために「富永朝堂」の手によって三女神慰霊像が建立されています。
また、ダム湖の名前「日向椎葉湖」はこの土地に伝わる平家伝説から「新平家物語」の著者「吉川英治」によってつけ
られました。
上椎葉ダムはこの規模のダムから言えば珍しく、日向市にある九州電力日向電力所からの遠隔操作において管理
されており、常駐の職員は居らず管理所は常に無人となっていました。そのためパンフレットなども入手できず詳しいス ペックがわからなかったのが残念です。
このダムを見学に訪れた際には椎葉村にある史跡「鶴富屋敷」の見学及び蕎麦、椎茸、猪肉を食されることをお勧
めします。
ダム便覧を参考に作成しております。
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